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臨床心理士の在り方を考える(荒井×菊地)

共に臨床心理士として活動する荒井 陵(CPWAA理事長:右)と菊地 快(CPWAA副理事長:左)

2018年4月1日、NPO法人あすぴれんとで「臨床心理士×臨床心理士」というプログラムを行いました。 このプログラムは臨床心理士資格を持つスタッフが対談を行うというものです。

今回は理事長の荒井と、ちょうどこの日に臨床心理士となった副理事長の菊地が行った対談の一部をご紹介します。

臨床心理士としての抱負

荒井:じゃあ今日から臨床心理士になったうちの副理事長の菊地にですね、抱負を教えてもらおうかと思います。

菊地:はい、今日からですね、臨床心理士に登録されました菊地と申します。よろしくお願いします。(一同拍手)

いやあ、抱負か(笑)正直なところ、あんまり実感がわかなくてですね。臨床心理士になれたってことなんですけど、「やったー!」って思いよりも、どっちかっていうと、臨床心理士試験を受けて自分に足りないところとか未熟なところがむちゃむちゃあるなってわかったっていうのが正直なところで。臨床心理士って名乗れちゃうんですよね、僕が。

今まで臨床心理士の人たちがたくさん頑張って、地位を作ってきてくれたので、そこに負けないように食らいついていきたいな、っていう。なので抱負としては、今後(資格を)取ったからこそ、頑張っていきたいってところですね。

荒井:まず一次試験・二次試験とあって、その合格発表までに一か月くらいそれぞれ待つし、二次試験終わって、まあ受かったとなった後にさ、四ヶ月も待つじゃん。それまでの宙ぶらりんな感じとかさ、嬉しさを保てないってところもあるよね(笑)

楽しいことをタブーにする必要はない

荒井:臨床心理士って自分たちに厳しいよね。

菊地:ストイックな気がするよね。

荒井:臨床心理士が楽しいっていうとそれ自体なんか悪いことみたいな気がするもんね(笑)なんか、楽しいってこと言うにしても、「自分のクライエントさんが元気になってくれて」とか(そういうこと以外では言えない)。

菊地:うんうん、あるね。こういうことを今自分がやってて楽しいとか、そういったことはあんまり表立って言わない。

荒井:心理現場だろうと福祉現場だろうと、働いている人が楽しいことをタブーにする必要はまったくないよね。

福祉現場は、三年ぐらいで支援者が退職しちゃうっていうのが慣例みたいになってて。それで結局その、その人がみてた利用者さんは、また新しい人(支援者)を迎え入れなきゃいけなくて。また自分の個人情報を伝えたりとか、こういう風にしてほしいっていう要望を伝えて、っていう大変な作業が待ってる。それが達成された頃にいなくなっちゃうみたいな。

三年で辞めちゃうのは、やっぱり楽しくないからだと思うんだよね。楽しければ辞めないよね。

菊地:うん、楽しいことは続くもんね。

荒井:僕たち(CPWAA)は「楽しくやっていこう」っていうところで。でも絶対にやっちゃいけないのは、支援者だけが楽しくて、支援を受ける人たちが置いてきぼりになる(ということ)。そういうふうにズレていきそうな場面が僕たちの仕事には多くて、頻繁に立ち戻る必要があるよね、基礎に。

菊地:なるほど。(臨床心理士資格は)柔軟で自由っていう特徴があるからこそ、支援をする人たちと支援される人たちが一緒に歩んでいけるっていう強みはあるけど、その柔軟が故に足並みが離れちゃうかもしれないもんね。

荒井:お互いに楽しく。これはすごく難しいようだけど、実はそんなこともないのかなと思ってて。なんか楽しい空間って結構共有できるじゃん。楽しい時ってきつくないし、楽しい時のきつさってスパイスみたいに楽しさを引き立てるものにもなりえるし。

人間楽しくあれ!

荒井:なんか「人間楽しくあれ!」と思う(笑)

菊地:楽しいことはいいことだからね(笑)

今日の午前のプログラムもさ、結構みんなしんどいこととかも言ってくれたけど、笑い話としてみんなで共有できた気がするのね。だからそういう楽しさを共有するっていうのは本当にできる気がするね。

荒井:なんかみんなが「ワーッ」と楽しさを共有している時って、純粋にすごく楽しい。

これは子どもの頃から考えていることで、大人になったり社会人になったりして、結構みんな諦めちゃう。諦めるのは常識になってるし、昔みたいに夢を語ってると、まあ僕なんか35なんですけど、35歳の人が夢を語ってると「ちょっとそろそろ落ち着かないと」とか「そろそろ現実見ようよ」みたいな空気になってくる。

でもさ、そんなの偏った常識じゃない?

菊地:うんうん。

荒井:スタンダードなライフスタイルが好きだとかさ、そういう人はそれを選べばいいし、刺激的に子どもみたいに楽しく過ごす人がいたって、これは単純にフラフラしてるみたいな話ではない。

心理の人なんかはそれぞれの個別性を尊重して支援しなきゃいけないわけじゃん。そういう人がさ、一方で自分自身に対してはかなり固定的な心理のイメージとかさ、社会人のイメージを持ってるっていうのはさ、それこそ(カール・)ロジャースのいう自己一致をしていないよね。

楽しさを支援する

荒井:苦しみを取るんじゃなくて、楽しさを支援する心理士がいてもいいような気がしない?

菊地:「一緒に楽しんでいくためには」みたいな。

荒井:クライエントさんの中にはさ、こっちが超面白い冗談を言って、ゲラゲラ笑ったら元気になる人もいるかもしれない。

菊地:面接中に冗談言った人とかあんまり聞かないもんね(笑)

荒井:認知行動療法の中では結構ユーモアを大切にするようなのもあるよね。家族療法とかもかな。こっちが勝手に「苦しい人にはこうするべき」っていうのを決めてるような風潮もあるよね。

これはさ、元々苦しい時に「ワーッ」ってして元気になれない人もいるよってところから、こっちもそういう心構えをしておきましょうっていう話であって、こっちが楽しくすることで元気になるのはそうするのが個別性じゃない?楽しくさせる臨床心理学っていっぱいあるじゃん、多分。

それぞれのケースに対応させてアプローチは変えるべきって話であって、全部に冗談とかを入れるって話ではないけど。

公認心理師との差別化

荒井:かたく縮こまってる臨床心理士の姿っていうのはこれからの世間に馴染まない。国家資格(=公認心理師)がこれからできる中でさ、国家資格は「これをやりなさい」っていうのが示されてる。

臨床心理士の団体は今、「専門性で公認心理師を上回る」っていう論調だよね。そんなつまらないことじゃなくて、臨床心理士は自由に色々な分野で臨床心理学を使ってケアしますよっていう資格でいい。そこに民間資格の強みを活かせば。「あっちは国家資格、こっちは民間資格、それぞれの強みを活かしていきますよ」でいいじゃん。

だから、これから臨床心理士はその自由度を使って支援していく必要があるんじゃないかなって最近思ってるんだけど、どうだろう?

菊地:僕が最近思うのは、やっぱりリスキーなことはあんまりしたくないのかな、っていうことで。まあ、僕自身も多分そう思ってるし、臨床心理士全体の中でも結構あるものだと思う。堅実にオーソドックスでいきましょうみたいな。そういう道でずっとやってきてる気がして。

そういうところを踏まえていくと、自由度みたいなところじゃなくて、ヘマをしないために、問題にならないためにみたいなところに焦点が当たっちゃうのかなって思う。

荒井:この辺りはさ、単なる批判じゃなくて自分自身にも言い聞かせてるけど、ちょっと変えていかないとダメなところだと思うし、変えることでより豊かな支援が提供できるって部分もあってさ。

菊地:(自由にやっている臨床心理士は)あんまりいないよね。お医者さんとかだと結構、「えっ、お医者さんなのにこんなことをやってるんですね」みたいな人とか最近多いような気がするのね。

荒井:パッチ・アダムスとかさ、ピエロの恰好とかしてるわけでしょ(笑)でも、5分診て帰すっていう人もいる。どっちがいいとかじゃなくてさ。それぞれに合う支援スタイルでいいよね。

そうじゃないと臨床心理士の強みが活きなくて、民間資格であるっていう弱みだけになるし、これが凝り固まってスティグマ(≒劣等感)みたいになっていってるっていうのが現状かもしれない。

菊地:まずい流れになるかもしれないね。「もっと知識を」とかね。

失敗を恐れないことでエビデンスが生まれる

荒井:昨日ちょうどべてるの家の向谷地先生とお話する機会があって、そこでぴったりな話をしてくださったんだけど、「エビデンスを」っていうのを特に臨床心理士は言う。これはリスクを恐れてのものだよね。

でも、エビデンスっていうのがどうやって作られていくのかっていうのを向谷地先生が言ってくれて。エビデンスっていうのは研究者が出してる。研究者は何をやってるか。毎日毎日、失敗しながら(エビデンスを)作ってる。画期的なノーベル賞とかね、全部たまたまなんだって。職員がミスをしたらたまたまできたとか。だから、はっきり言って失敗なわけだよね。失敗を恐れて、それを極力なくしていったらそういう発見がなくなっちゃうよね。

だから、(研究者は)毎日が失敗の連続だし、失敗を恐れないことで発見が生まれてる。そういう中で、失敗によってできたエビデンスを、臨床心理士が使っていく。それで(臨床心理士は)リスクを冒しちゃいけないってさ、「リスクは研究者に負わせて、こっちはリスクなくやっていきますよ」ってことになっちゃうじゃん。それで、もしそのエビデンスにリスクが潜んでいても、「それはそれをエビデンスにしたそっちの責任ですよ」っていう心さえ見えちゃうよね。

菊地:いや、全く…自分の心の中を言い当てられたみたいな気分がして(笑)、やっぱり(資格を)持ったからこそ、そういうのが強まっちゃうっていうのもあると思うんだよね。新しい道を探して「より活性化させていこう」みたいな、そういうところにはあんまり至らないもんね。だから今ちょっとドキッとしたね。

臨床心理士の楽しさ

菊地:なんかちょっと話変わるかもしれないんだけどさ、ある一定の水準まで達した臨床心理士ってそこがポンポンって抜けて、自己実現の方に行く気がしない?ルールとかリスクとか、そういうのに縛られてるっていうよりも、なんとなく楽しそうに見える。「自分らしく生きてるな」みたいな人がたまにいるんだよね。ちょっと年齢が上の方になってきて、キャリアがすごいたまっていくと。

荒井:本当にたまになんだけど、いるよね。経験を積んだ人で、「きっとこの人は構造とかキッチリしてる人なんだろうな」と思いきや、「いや、僕は全然そういうのやんないけど」みたいなさ。なんかそういう人は楽しそうに見えるよね。一方で、ずっと苦しそうな人もいる。そのラインがなんなのか、今はまだ見えないけど。

(べてるの家の)向谷地先生は精神保健福祉士だけど、支援を受ける人を前にして「どうなってもいいや」って思ってるんだって。だから怖くないんだって。「自分が」嫌われたまま終わっても、「自分が」支援できなくても。

なんかさ、臨床心理士も、菊地も、僕もだけど、良い意味でもう少し気楽にやりたいし、その方がいい支援ができるような気がするよね。

じゃあ最後に、臨床心理士の楽しさとは?(笑)

菊地:駆け出しで、今日から臨床心理士(になったばかり)で…楽しさを僕が語るのもどうかと思うんですけど(笑)、最近なんかこう、一人ひとりの人と話したりすると、思いもよらないところが出てきたりとか、新たな一面が出てきたりとか、変化していったりとかね。そういうところをみるのはすごい楽しいなって感じてて。

だからこそ、臨床心理士っぽさも確かに必要だけど、自分っぽさっていうところも重視していけば楽しくなるかなって感覚を持ちつつはあるかな。